はじめに
この記事は「小説の語彙力を付けたいと思っている人」に向けて書かれています。
- 小説の語彙力が何かわかる
- 語彙力の鍛え方がわかる
- 語彙力を鍛える最終目標がわかる
「語彙力が足りない」
「表現をもっとよくしたい」
そんな思いから語彙力を鍛えたいと考えることはよくあります。
語彙力は文章やストーリーを豊かにし、自分の考えをより読者に伝えるために役立ちます。
しかし、その語彙の集め方を間違ってしまうと、「鼻につく文章」や「堅苦しい」などと読者に思われてしまい、小説自体をダメにしかねません。
よくある間違いが「沢山知っていればいい」と思ったり「難語を知っていればいい」と思って語彙を集めるケースです。これが非常に多い。
実は、小説には小説の語彙の鍛え方があります。正確に言えば「娯楽小説における語彙の鍛え方」があります。その、小説の語彙力とは何でしょうか。
それは「言葉遊びで読者を楽しませる力」だと考えています。
どういうことか、これから説明します。
小説の語彙力とは?
小説の語彙力とは何か。まずはそこをお伝えします。
ここで言う小説とは、娯楽小説、一般小説などの『読者を楽しませることを目的』とした小説のことです。いわゆる文学作品と呼ばれる小説は含まれていません。
上記の小説を対象としている通り、小説を書くという行為は、読者を楽しませるという行為と直結しています。このことは、もの凄く大切なことです。
この意味さえが分かれば、もうあなたは『小説の語彙』というものの本質を理解している、といえます。
読者を楽しませるという立場にいる以上、あなたが小説で扱う語彙も、読者を楽しませることを最終目標としなくてはいけません。つまり、自分勝手な語彙ではダメで、読者勝手な語彙を集めなければいけません。
「自分勝手? 読者勝手? 何のこっちゃ」
ここで、自分勝手の語彙力と読者勝手の語彙力の違いを見てみましょう。
自分勝手 読者勝手
自分勝手の語彙では、「読者が理解するべきだ」との立ち場にいます。
上から目線な立場ですね。
「これぐらい知っているだろ? 意味くらいググれ」といった高圧的な文章が、これになります。
こんな文章を書く人は「難しい言葉」や「知らないカタカナ語」を多用して、小説を書く傾向があります。それが、小説の語彙力があると思い込んでいるからです。
しかし、こんな文章では、読者は楽しむことができません。
そもそもこんな自分勝手な小説では見向きもされないでしょう。だって、世の中には他にもたくさんの面白い小説があるのだから。
一方で、読者勝手の語彙はどうでしょうか。
こちらでは「相手と一緒に楽しむにはどうすべきか」という立場にいます。つまり、相手の目線で物を見ているのです。
この立場にいると「この言葉で相手に伝わるか?」「こんな言葉だったら楽しんでくれるんじゃないか?」といったように、常に読者を意識した文章になります。
そんな文章で書かれた小説は読みやすいし、楽しませようとしているので面白くなりやすい。これが読者勝手な語彙です。
小説に必要な語彙力の鍛え方
この違いが分かれば、小説に必要な語彙力の鍛え方もわかります。小説の語彙力の鍛え方は、以下の通りになります。
- 読者がわかる語彙を見つける
- わかる語彙から横に広げていく
- 言葉遊びをする
これらを鍛えるオススメの方法をご紹介します。
それは、「あなたの一番大切な人に向けて、その人を楽しませるためにはどんな語彙を集めればいいかを考える」ことです。
顔の見えない読者を想定して集めていくより、実際にいる大切な人を想定し「この人なら多分、この言葉は知っている」「これは多分わからないんじゃないか?」といった判断で語彙を集められます。
この「たった1人の大切な人」を想定するだけで、各段とあなたの語彙力はあなたらしくなります。何故なら、その集め方は他にはできない、あなただけの集め方だからです。
想起する人は様々です。年齢も、性別も、住んでいる地域も違います。
ある人は、恋人を想起するかもしれないし、ある人は親友や妻や夫、または自分の子供を想起するかもしれません。
その違いが、集める語彙の違いにつながり、ひいてはあなたらしさにつながっていきます。
語彙力を鍛える最終目標は「言葉遊びをすること」
語彙力を鍛える最終目標は「言葉遊びをして読者を楽しませること」だと、ボクは考えています。
読者にきちんと伝わる言葉で、色々と言葉遊びをしながら、読者を楽しませること。
ある人は「言い換え言葉をどんどんと駆使して、読者を楽しませる」かもしれないし、ある人は「簡単で分かりやすい語彙のみで読者を深く感動させる」かもしれません。
とにかく言葉を駆使して、遊び、読者を楽しませるのです。もちろん、この読者というのは、あなたの一番大切な人です。
この言葉遊びができるようになれば、あなたの語彙力はかなりのレベルになっているといえるでしょう。
言葉は知らなくてもいいのか?
「じゃあ、小説家は全然言葉を知らなくていいのか?」
と疑問に思うかもしれませんが、そうではありません。
語彙力のある小説家は「言葉をたくさん知っているが、あえて使ってない」のです。
何万もの知っている言葉の中から、読者が楽しめる数百の言葉にまで取捨選択して小説に使用しているのです。
例え、簡素な言葉だけで書かれている小説があったからと言って、それで「作者の語彙力がない」ことにはつながらないのです。
知っているけど、使わない。これが本当のところです。
ボクが語彙力で尊敬するのは西尾維新先生です。
先生の言葉遊びは、『中高生』という年齢の低い読者層にも十分に楽しめる言葉遊びを提供しています。小説の人気から鑑みても、これだけ読者が楽しめる語彙を提供しているのは、とても凄いことです。
難語を知っているとか、珍しい語句を知っているよりも、何倍もすごいです。
西尾維新先生の小説を読んだことがない方は、一度読んでみて下さい。感動ものです。
まとめ
小説の語彙力とは「言葉遊びで読者を楽しませる力」であり、「難語を知っている」とか「沢山知っている」ことではない。
小説の語彙力を鍛えるには「たった1人の大切な人」を想起して、その人のために集めると良い。
語彙力を鍛える最終目標は「言葉遊びで、たった1人の大切な人を楽しませる」こと。
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