はじめに
この記事は「小説におけるオノマトペの使い方」について書かれています。
- オノマトペを使う“基準”がわかる
- 稚拙なオノマトペを使わなくなる
「オノマトペって、使うのが難しい……」
小説を書いていて、そんなことを思ったことはありませんか?
小説に臨場感を持たせたい時や、心情を伝える際に便利なオノマトペ。
その利便性から多用されがちですが、しかし、使い方を間違えると、「小説を幼稚な物」に見せてしまい、せっかくの物語が台無しになってしまいかねません。
ひとくくりにオノマトペといっても、その数は多種多様です。それこそ、オノマトペ事典が出ているほど、たくさんあります。
たくさんありすぎて、一つ一つに効果的な用法を当てはめるのは困難です。
「それじゃあ、オノマトペを使う際は、一つ一つ勉強しなくちゃいけないの?」
そう不安になるかもしれませんが、オノマトペには、一定の“基準”による使い方があるとボクは考えています。
それは、「感情が動いたときにだけ、オノマトペを使うこと」を心がけることです。それさえできれば、「稚拙さ」を防ぎ、効果的なオノマトペの使い方ができます。
どういうことか、これから説明していきます。
オノマトペとは?
そもそもの前提として、オノマトペとは何でしょうか?
『感じる言葉 オノマトペ (角川選書)』という本の中では、オノマトペとは「擬態語」と「擬音語」の総称だと書かれています。
「擬態語」と「擬音語」については、それぞれ次のように解説されています。
擬音語: | 「ニャー」(猫の鳴き声)、「バタン」(ドアを閉める音)のように、動物の鳴き声や、ものが立てる音を言い表した言葉 |
擬態語: | 「どきどき」(興奮)、「ピカピカ」(光沢)のような、ある感情や状態について、そのもの自体には音がないのだけれども、その様子を、音の感覚を利用して表現したもの |
つまり、ボクたちが「耳」で聞こえた音を文字として残すときは「擬音語」。音はないけど疑似的に表したものが「擬態語」、ということになります。
この2つを意図的に分けることにこだわる必要はないと思います。小説を書く上で、特段意識する必要は感じられないので、あくまで、分類上2つに分けているといった解釈で良いと思います。
注目してほしいのは、擬態語の説明です。
「ある感情や状態について、そのもの自体には音がないのだけれども、その様子を、音の感覚を利用して表現したもの」と、書かれています。
この「感情」という部分が、とっても重要になるとボクは考えています。
つまり、オノマトペの成り立ちとして「感情」が大きく関わっているんです。「感情」を言葉ではうまく伝えられないから、オノマトペを代用して相手に伝えたのです。
医者に伝える「痛み(感覚)」の些細な違い
この「感情」を伝えることが、オノマトペを「稚拙」に感じさせず、読者にすんなりと理解してもらうためには重要なのではないかと、ボクは考えています。
例として、お腹が痛くなって医者に診てもらう場面を考えてみましょう。
「どうされましたか?」と医者に言われたとき、「おなかが痛くて……」という他にも、この痛み(感覚)を伝えるために、「キリキリ」や「ズキズキ」などのオノマトペを使ったことはないでしょうか?
「痛い」だけでは伝わらない、些細な「感情の差異」を、オノマトペを通すことで、第三者に伝えることができるのです。(参考:日本語再発見(1)オノマトペの不思議な世界)
このように「感情」が動く場面においてオノマトペを使うことで、相手にも「変だな」と思われずに、理解してもらえることが分かると思います。
感情が動いた時にだけ、オノマトペを使ってみる
上記の説明から、ボクが「感情が動いたときにだけ、オノマトペを使うこと」の意味が分かるかと思います。
先ほどの、「痛み」のような場合の他にも、「嬉しい」や「悲しい」、「怒り」などの感情が「揺れ動いた時」に、オノマトペを使うことで、読者にもその感覚が伝わってくれると思うのです。
それを知らないで、何でもかんでも「オノマトペ」に頼ってしまうと「なんだか、この小説、稚拙だなあ」と読者に思わせてしまうのです。
その良い例がありましたので、一部だけ引用させてもらいます。
(※あくまでボクが勝手に解釈を与えているだけですので、この文章に悪意を持っているわけではありません)
自動車が(1)キキキキーッ! って音を立てながらブレーキをかけたが間に合わず、(2)ドーン! と人が吹っ飛んだ。 それから(3)バターンという音を立ててアスファルトの上に転がり……アスファルトに転がった身体から血溜まりが(4)だくだくと拡がっていった。 (引用:擬音語・擬態語は使ってはいけないのでしょうか?) |
こちらの記事では、「オノマトペ」は多用しない方が良いだろうということが書かれています。その一例として、上記のような文章では、読者に「稚拙」な感じを与えてしまうと書いています。
ふむ。確かに、この文章では「稚拙」な感じが出てしまっていますよね。そこでボクは、何故この文章が「稚拙」に感じてしまうのかを考えてみました。
やはりここでも「感情が動いたシーンにオノマトペを使っていないから」、変な感じになってしまうと思うのですよね。
例えば、最初の「自動車が(1)キキキキーッ! って音を立てながら」というシーン。主人公の視線がどうあるかが重要だと思います。
この「キキキキーッ!」というオノマトペを有用に使うなら、主人公が車の存在に気が付いておらず、「キキキキーッ!」という音で初めて車の存在に気が付いた。
そんな視線になるとボクは考えます。
何故なら、その「キキキキーッ!」という音を聞いて初めて「感情が動いた(びっくりした、ハッとなった)」状態になるからです。
しかし、例の文章では、「初めから主人公が自動車を認識していて、その車がブレーキをかけたけど人にぶつかった」という視線になっています。
そうなれば、「キキキキーッ!」の時に、さほど感情は動かないと想像します。
じゃあ、ここで主人公の「感情」が動くとしたら? 人にぶつかった時に出るオノマトペではないでしょうか。つまり「(2)ドーン!」のオノマトペは使い方としては間違っていないと思います。
ただ「ドーン!」というオノマトペが稚拙に感じますので、「ボゴッという嫌な音を立てて人にぶつかった」とか「バンッとまるで風船がはじけたように人が吹っ飛んだ」とか、そういった言葉に変えると良いのではないかと、ボクは思います。
また(3)バターンというオノマトペも、地面に強く打ったということを印象付けたいのだと思いますが、しかし、(2)のシーンが強烈すぎるので、この部分のオノマトペは省略して構わないと思います。
そして最後の(4)だくだくは、真っ赤な血だまりが広がって「恐怖」を演出できているので、ボク個人としては良いオノマトペだと思うのですが、どうでしょうか?
このように、「感情」に視点を当ててオノマトペを使用すれば、オノマトペの使い方がグッと良くなると思います。
まとめ
オノマトペは使いやすい反面、使い方を間違えると「幼稚さ」を読者に与える。
幼稚さを与えないためには、オノマトペの乱用を防ぎつつ、「感情が動いた時にだけ使うこと」を心がけると良い。
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