はじめに
この記事は「面白い小説の書き方を、ネットで検索してしまう人」に向けて書いています。
- 小説の面白いの”6大要素”を理解できる
- 面白い小説の”正体”がわかる
- 面白い小説の書き方がわかる
「面白い小説を書きたい!」
そう思うのは物書きとして当然の性ですが、果たして「面白い小説の書き方」は存在するのでしょうか?
そんな「面白い小説の書き方」について、考えてみました。
面白い小説とは?
面白さの6大要素
「面白い小説の書き方」について考える前に、面白い小説とは何かについて考える必要があります。
面白い小説というものが明らかにならなければ、残念ながら、面白い小説の書き方の発見は難しいでしょう。
受賞する小説の条件というものの中で、おもしろさの6大要素というのが紹介されています。
それによれば、面白さとは以下のようになります。
- 文章(描写力)
- ストーリー
- 構成
- 設定(世界観/思想)
- 人物(キャラクター)
- 専門性(ウンチク)
なるほどなるほど。実にたくさんの要素がありますね。
ボクなんかはキャラクター小説というものを書いているので(5)の人物(キャラクター)が面白ければ、面白い小説になる。というのは納得です。
その他にも、(1)の文章や(2)のストーリーなども面白くなれば、小説が面白くなりそうですね。
つまり、これらの要素を面白くすれば、必然的に面白い小説になる、というわけですね。
……本当にこれで納得ができるでしょうか?
確かに、文章やストーリが面白ければ、小説が面白くなるでしょうし、キャラクターが面白ければ、また然り。
しかし、ここに疑問を抱いてしまうのは、ボクだけではないと思います。
おもしろい6大要素を面白くするためには?
その疑問とは、「6大要素に出てくる、文章やストーリが面白い、とはどういうことか?」に集約されます。
先ほどと同じように、これらの6大要素を分解していけば、「面白い文章」や「面白いストーリー」がわかるのでしょうか?
文章を分解すると「語彙」や「文法」などといった要素に分けれられますね。これらを「面白く」していけば、面白い文章が書ける。その論法は正しいと思います。
でも、じゃあ「面白い語彙とは?」
そう考えていくと、また語彙の要素を分解して、分解して、分解して、分解して……。
これじゃあ、マトリョーシカのように、無限に分解するための要素が出てきてしまい、根本的な解決はできないことがわかるかと思います。
「でも、いつか、分解するときが止まるんじゃないのか?」
残念ながら、ボクは止まらないと思います。その分解が止まるときは知識不足で起きることであり、知識が増えれば、またいくらでも分解できると考えます。
このように、面白い小説というものを6つの要素に分解し「これを面白くすれば、面白い小説になる」
としたしたように(1)文章や(2)ストーリーも分解し「これを面白くしよう」とし、さらに分解し「これを面白くしよう」……と続けていく。
これでは、いつまでたっても「面白い小説」にたどり着けないことはわかると思います。
つまり、面白い小説を構成する要素が分かっても、その要素を面白くする術が見つからず、それはすなわち、面白い小説というのも突き詰めれば存在しない。
これが、ボクの結論です。
面白い小説は存在しないのか?
ただ、この結論だと「でも、オレが読んだあの小説は面白かったが、これは面白い小説じゃないのかよ」と不満を言われそうです。
確かに、あなたの読んだ本は面白い小説なのでしょう。
「え? 前言、撤回するのかよ?」
少し、違います。先ほどのお話を正確に表すと「面白かった小説」がある、ということです。
「は? どういうこと?」
これから説明しますので、少々、お付き合いください。
ボクたちが小説を読んだあと「面白い」や「つまらない」「まあまあだった」などの評価を下すかと思います。
そして「面白い小説」を見つければ、
「これはめちゃくちゃ面白いよ。このキャラクターなんか、性格が際立ってて魅力的だし、ストーリーも最後の最後のどんでん返しが最高なんだ!」とみんなに勧めたりします。
しかし、これはあくまでも「面白い小説」ではなく「面白かった小説」なのです。
評価を下したのは小説を読み終わった後であり、読む前は面白いかどうかは判断できなかったはずです。
それが読み終えた瞬間に、キャラクターやストーリーなどの要素が面白かったので「面白かった小説」だと評価した。
つまり、前後が逆なのです。
この過去を振り返ってみた際に、「面白かった小説」がわかるだけで、初めから「面白い小説」が存在するわけではないのです。
この違い、わかったでしょうか?
面白い小説かどうかは世に出さない限りわからない
これがボクがこの記事で一番言いたかったことです。
面白い小説というものが存在しない限り、「面白いかどうかは、世に出してみるまで分からない」のです。
いくら自分が面白いと思っていても、それが本当に面白いかどうかは、誰かの評価にさらされない限り分からない。
だから、もし「面白い小説を書く方法」があるとすれば、それは誰かに面白いと評価されるまで、小説を書き続けることだと思います。
時代の流れもあるだろうし、そうすれば、書いているうちの何作かは、「面白い小説」と評価されるかもしれない。
そうしたら、あなたは、面白い小説を書いたことになる。
しかし、それも小説を世に出さない限りただの空想です。
書いている最中に面白いかどうか不安にならなくていい
逆に言えば、書いている最中に襲われる「これって面白いのか?」「こんな作品に価値があるのか?」という不安があるかと思いますが、そんなことは全然考えなくていいとも言えます。
なぜなら、面白いかどうかは他人が評価するものだから。
他人の評価にさらされない限り、面白い小説か同課はわからないからです。この話をすると、なんだかシュレディンガーの猫のような話みたいですね。
面白い小説の書き方
「そんな身も蓋もないこと言うなよ! オレは、面白い小説を書きたいんだよ!」
もし、ボクが上記以外に面白い小説の書き方を伝えるとすれば、それは、一番最初に出した「おもしろい6大要素」に対して、
「自分なりの面白さ」を詰め込むことだと思います。
自分なりの面白さを突き詰めること。これだけしか、出来ないと思います。
だから、自分が面白いと思うものを積極的に集め、作品を修正し、それを世に出す。このサイクルを続けること。これが一番大事なのかなと思います。
面白い作品をマネするという行為も、場合によってはありなのかなと思います。何かというと「なろう系」のようなテンプレートをマネるという行為です。
個人的にはあまり好きではありませんが、ファンの中にはこういった展開を好まれる人もいます。
そういった作品を貪欲に吸収していくということも、面白い小説を書くには必要だと思います。
もちろん、自分が面白いと思ったという条件付きで……。
結論
今回の結論です。
「面白い小説」というものが存在しない限り、面白い小説の書き方も存在しない。
面白い小説(面白かった小説)は世に出るまで分からないのだから、自分の書いている小説をどんどん世に出し、判断を待とう。
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