はじめに
この記事は「小説における一人称の書き方」について書かれています。
- 一人称の強みがわかる
- 一人称での書き方がわかる
「一人称の小説って、こんなんで良いのかな?」
小説を書いていて、そんな不安を抱えたことはないでしょうか?
一人称の小説は、まるで語り部が自分(筆者)であるかのように感じられ、スラスラと書けることが多いと思います。
そうなんです。一人称の小説は書きやすいのです。(それが面白い小説かどうかは別として)。しかし、それが逆に不安をあおり、「こんなんでいいのかな?」という疑問を抱かせるかもしれません。
一人称の強みは、先ほど「語り部≒自分(筆者)」と言った通り、「近さ」が最大の強みだとボクは考えています。
一人称はとにかく近いのです。それは強みにもなるし、「弱み」にもなります。つまり、近すぎて「違和感のある文章」になってしまう場合もあるということです。
そうならないためにも、一人称では「カメラワークを意識して、一人称の強みを生かして」書こう。これが大切だとボクは考えています。
「カメラワーク? 一人称の強み?」
どういうことなのか、これから説明していきます。
人称を考えることは、語り部の視線を考えること
突然ですが、ボクは小説においては、「語り部の視線=人称」だと理解しています。それは、小説が「語り部」によって綴られる物語だからです。
一人称でも三人称でも、語り部がいて初めて小説は成り立つのです。このことは、小説を書いていれば分かると思います。
一人称では、「僕、私、オレ」といった、登場人物がそのまま語り部になって、物語を進めてくれます。一方で、三人称では、「君、彼、あの人」といった、第三者が語り部になります。
では、そんな語り部たちの「何を通して」物語は記述されていくでしょうか? その答えが、先ほど言った「語り部の視線」なのです。
語り部が見ている物や場面や風景に対してのみ、ボクたち作者は小説に記述することができるのです。逆に言えば、語り部が見えていない部分は記述できないのです。
(これが、漫画やアニメになれば話は違います。「語り部=神様」なので、何でも記述できることになります。(理想上は))
つまり、人称を考えることは「語り部の視線」を考えることと同義だと、ボクは考えています。
一人称と三人称の違い
ところで、一人称と三人称の違いって何だと思いますか?
結論から先に書くと、「一人称と三人称の違いはカメラワーク(視線)の遠近の差」だと考えています。
「遠近の差?」
ここで冒頭に出てきたカメラワークが出てきます。
何も難しい話しではなくて、「視線=カメラワーク」だと、ここでは思って下さい。映画を考えてみると、想像しやすいかもしれません。
一人称では、「カメラワークが近い」のです。それは、登場人物からの視線で語られていることを考えれば、理解しやすいでしょう。映画で言えば、物語の一番近いところで撮影しているのです。
一方で、三人称では「カメラワークが遠い」のです。これは、登場人物以外の視線で語られているので、「一歩下がった形での視線」だと理解できます。映画で言えば、引きでの撮影が続く感じです。
このようにして、一人称と三人称の違いは、「カメラワークの遠近の差」だと、ボクは理解しています。一人称と三人称の違いは別記事で詳しく述べていますので、参考にしてみて下さい。
記事はこちら→(記事:一人称と三人称の使い分けって?両者の違いから考えてみよう)
一人称の強みとは”近さ”である
ここまでくれば、一人称小説の“強み”が見えてきます。そうです、「近さ」です。
それは、「登場人物に近い」とも言えるし、「物語に近い」とも言えます。そしてさらに言えば、書いている作者と「語り部とも近い」のです。それぞれ見ていきましょう。
1.登場人物に近い
登場人物に近いということは、それぞれのキャラクターと「生で接している」ような、そんな感覚を読者に与えられます。
それはまるで、隣にいる友達に話しかけられているような、そんな感覚を読者に与えることができるのです。
そんな小説では、「このキャラクター好きだな」とか、「このキャラ可愛い」とか、そんな親近感を抱くことに繋がります。
これは何もプラスの話だけではありません。
「このキャラ嫌い」とか「なんでこんなキャラを出すんだ?」といったようなマイナスにも左右します。
サイコパス殺人鬼などを描くときは、こんなマイナスの意識を起こさせるのは、とても都合が良いですよね。
2.物語に近い
次は「物語に近い」ことを見ていきましょう。
語り部が登場人物であるが故に、読者は知らず知らずのうちに、「ストーリー展開の中」にいるという錯覚を起こします。
先ほどは親近感でしたが、ここでは「没入感」を読者に与えられるのです。ストーリーの中にいるということは、当然、登場人物と同じ思考になりやすいです。
ストーリー展開で「謎」が提示された時は、「これはどういうことなんだ?」と、登場人物と同じように考えるし、別れや悲しさを演出されれば、感動もします。
そんな没入感を抱かせてくれるのも、この「物語に近い」からこそできることだと、ボクは考えています。
3.語り部に近い
最後の「語り部に近い」というのは、1番目に似ていると思うかもしれません。
その違いは何かというと、1番目は登場人物全般に対して近いのに対し、こちらは「主人公に近い」のです。
ボクたち作者は語り部(主人公)とは別々なんだけど、まるでその語り部になり切ったような気持ちで小説を書けるようになる。
「この語り部はこんな風に動くだろうな」とか「こんなことをこの語り部は考えるだろうな」そんな風に書き上げた小説は、キャラの濃さが全く違います。
これは、「キャラクター小説」に通ずるものがあり、キャラを深堀して小説が書けることにもつながります。
つまり、キャラ主導の小説を書く際に適しているということですね。
このようにして、「語り部(主人公)になり切って書ける」ようになる、「語り部との近さ」も、一人称では強みになります。
一人称の小説の書き方:強みを意識して小説を書こう
こうして、やっと一人称小説の書き方に入るわけですが、実はこの章はあまり長く書けません。
一言で言えば、「カメラワークを意識して、一人称の強みを生かして書こう」ということです。
前半の「カメラワークを意識して」とは、つまり「近さ」ですね。登場人物と同じ視線で小説を書いていくために、物語のすぐそばで小説を記述していくことになります。
このカメラワークの近さを意識しようということです。
そして、後半部分の「一人称の強みを生かして」というのは、先ほど言った3つの強みを生かそうということですね。つまり
- 登場人物との近さ
- 物語との近さ
- 語り部との近さ
この3つを生かそうということです。
言葉でいうと、なんだか簡単なように聞こえます。でも、実際に小説を書くとなると、難しいと感じるかもしれません。
しかし、これらを意識して書くだけでも、前回までとは違った作品が書けるようになると、ボクは信じています。ぜひ、参考にしてみて下さい。
語り部との近さは“諸刃の剣”
ここで少しだけ注釈を入れておきたいと思います。
先ほどボクは、一人称の強みとして「語り部との近さ」を上げました。実はこれ、諸刃の剣だということは注意しておこうと思います。
語り部との距離が近すぎると、どんな弊害が起こるかというと、「語り部の行動=作者の想い」ということになりかねないのです。
どういうことかというと、作者が考えていることや思想をそのまま「語り部=主人公」に反映させてしまうのです。
それは、小説のテーマであったり、作者が日々感じている想いであったり、不満であったり様々です。それらを主人公に全て語らせてしまうことは、あまりオススメしません。
「なんでだよ、主人公に作者の気持ちを語らせることは良いことだろ?」
そう思うかもしれませんが、違うと考えています。
読者は小説に何を求めているかというと、「主人公の物語」であって、「作者の物語」ではないからです。
つまり、出しゃばってくるなよ作者、ということですね。
出しゃばった作者が描く主人公の何が嫌かというと、「説教臭かったり」「押しつけがましい」ことを言ってくる場面が多くなることです。
そうならないためにも、語り部とは近いんだけれども、「語り部≠作者」という風に心に留めておくと良いと思います。
「じゃあ、どうやって俺の気持ちを伝えるんだ?」
と憤慨するかもしれませんが、これこそ「小説で伝えよう」ということをアドバイスしたいです。主人公一人に背負わせるんじゃなくて、小説を通して、「作者の気持ち」を伝えるのです。
それは、登場人物や物語の展開や、文章や言葉や描写などをひっくるめた「小説」として伝えるべきだと、ボクは考えています。
近いが故に押し付けがましいと読者に感じさせないように、一歩引いて、「小説として」読者に想いをぶつけてみましょう。
まとめ
小説において、人称とは、カメラワーク=視線である。
一人称の強みは、「近さ」にある。
読者を物語に没入させるためにも、「近さ」を最大限生かして小説を書こう。
「……小説の人称って、いったい何者?」
一人称や三人称など、普段の生活で意識しない「人称」って、考え出すとよくわからない……。
そんな疑問を抱えたことはありませんか?
そこで本サイトでは、これまでに紹介した「小説における人称について」を【まとめ】記事として作ってみました。
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